引っ越しました
長らくはてなさんにお世話になっていた当ブログですが、この度引っ越しました。
新しいURLはこちらです。
http://nikkokaido.sblo.jp/
nikkokaido.sblo.jp
ご面倒をおかけしますが、ブックマークされている方はURLの変更をお願いします。
今後とも「ブログ 日光街道ヘロヘロ旅」をよろしくお願いいたします。m(_ _)m
日光道中千住宿 おしまい
東海道の初日は、初めての街道歩きでどのくらい歩けるのか分からず、日本橋を午後出発。
一番目の宿場:品川宿の入口まで歩いて、JR品川駅から帰宅。
中山道の初日は、東海道の時よりも歩こうと午前中に出発。
しかし、2~3日前に風邪を引いてしまい、体調不良で一番目の宿場:板橋宿までたどり着けず、JR板橋駅から帰宅。
ということで、東海道も中山道も日本橋の巻で終わってしまいました。
しか~し、今回は違います(笑)。
日光道中の初日は、中山道の時よりも2時間ほど早く出発して、ヤル気満々。
3街道目にしてようやく一番目の宿場(千住宿)まで完歩しました。\(^-^)/
ヨカッタよかった。
でも、調子に乗って街道歩きとは関係ない観光までして、もうヘロヘロ。(^-^;
千住宿の巻の所要時間 3時間30分(休憩除いた正味時間 3時間20分)
万歩計Rの歩数 12,869歩
日光道中千住宿 その24
いよいよ西新井大師です。
正式名称は五智山遍照院總持寺。
天長3年(826)に弘法大師が関東巡錫の際この地に立ち寄り、悪疫流行に悩む村人たちを救おうと、十一面観音像を彫り、枯れ井戸に安置して護摩祈願したのがはじまり。
お堂の西側にあった枯れ井戸から清水が湧いたので、当地が「西新井」という地名になったそう。(◎o◎)
江戸時代は女人禁制の神社仏閣が多い中、当山は女性の厄除け祈願所だったそうなので、ずいぶん賑やかだったでしょうね。
しかし、年末年始の準備で境内が工事現場のようで、ゆっくり散策する雰囲気ではありませんでした。(^-^;
当山は古刹だけにお宝がいっぱい。
江戸後期に建立された山門が区指定文化財。
境内左手(西)にある三匝堂は三階建ての栄螺堂で区登録文化財。
何と!寺宝には、国宝の鋳銅刻画蔵王権現像や重文の絹本着色弘法大師像・絹本着色天台大師像などがあります。
まだほかにもあるけど、詳しくは地元の方にお任せします。(^-^;
日光道中千住宿 その19
下妻道の追分から旧道は北西に進んで荒川を横断…ってゆーか、土手にぶつかって消滅。
大川町氷川神社で旧千住新橋の親柱を見学してから、千住新橋で荒川を渡ります。
しかし、往時はここに荒川は流れていませんでした。
本来の荒川は現在の隅田川で暴れ川。
度重なる洪水対策として、千住宿の北側を通る荒川放水路の建設を計画。
岩淵水門から河口まで全長22km。
明治44年(1911)に着手され、1,300世帯の住民が移転を余儀なくされました。
大正13年(1924)に通水が行われ、昭和5年(1930)に完成。
その後の昭和40年(1965)に荒川放水路が荒川の本流と定められ、岩淵水門から下流域の旧荒川を「隅田川」と改称したとさ。