日光道中千住宿 その15
千住ほんちょう公園の「千住宿 高札場 由来」案内板を横目に先へ進みます。
公園を過ぎると人通りが少なくなって、なかなかイイ感じの風景。
左手は江戸時代から続く千住絵馬屋・吉田家。
当家に保存されている吉田家絵馬資料と、江戸時代からの伝統を守る千住絵馬づくりが区登録文化財となっています。
現在のご主人は8代目。
右手は元地漉紙(じすきがみ)問屋松屋の横山家住宅。
江戸後期に建てられたという母屋は昭和11年(1936)に改修されているけど、よくぞ空襲で焼けなかったものだ。
こちらも区登録文化財。
敷地には明治9(1876)年に建てられた外蔵があります。
さっき立ち寄った千住宿歴史プチテラスの建物が土蔵だったけど、何と!その土蔵は天保元年(1830)に建てられた横山家の内蔵で、プチテラスに移築したもの。
そんなことだったら外観の写真だけじゃなくて、中にも入っておけばヨカッタ。(^-^;
日光道中千住宿 その14
さて、千住本氷川神社で気になるのは足立区年中無休ラジオ体操発祥之地碑。
ラジオ体操発祥之地とチラ見して、マジか!と思ったけど、よく見たら足立区年中無休ラジオ体操発祥之地。
毎日休まずにラジオ体操をするなんて、小学生の夏休みだけしかしていないおらとしては、頭が下がります。(^-^;
日光道中千住宿 その11
千住宿に入ると東京芸術センターに問屋場・貫目改所跡があります。
すぐに宿場の施設があるのね。
角の路地を進んで寄り道します。
まずは不動院で、戊辰戦争に従軍した安芸藩士の芸州供養塔にお参り。
そして、お隣の慈眼寺。
正和3年(1314)に創建された古刹で、本陣の代わりを務めることもありました。
案内板によると、境内にある板碑・地蔵菩薩庚申塔・庚申塔が区登録文化財。
庚申塔2基は見つけられたけど、板碑の場所は分かりません。
当山には江戸町火消しから続く千住町消防組の屯所があったそうです。
安政年間(1854~60)に「南北千住消防組」ができたことから、大正12年(1923)に殉職者を慰霊顕彰する南北消防組記念碑が建てられました。
日光道中千住宿 その09
千住仲町交差点で旧道に戻らず、そのまま墨堤通りを東に寄り道。
路地裏に仲町氷川神社。
ひっそりとしているけど、当社はお宝がいっぱい。
まずは区登録有形文化財の関屋天満宮碑。
登録文化財ってのは、天満宮ではなくて、碑の方。
天満宮自体も、社や祠はなく、石の上に御幣を立てただけなので珍しいけどね。
碑は鳥居の影に隠れて目立たないけど、文化4年(1807)製で和歌や漢詩が刻まれています。
そして、区登録有形民俗文化財の弁天像供養庚申塔。
弁天さまの庚申塔って初めてかも。
天満宮には祠すらなかったのに、弁天さまの庚申塔は岩の祠に安置され、大事にされています。
しかも、元禄2年(1689)製で、古い!
そのほかに区登録有形文化財の金銅装神輿・四神文鏡もあるけど、見てないので、詳しくは地元の方にお任せします。(^-^;
日光道中千住宿 その07
左手の路地入口に「旧日光道中」「是より西へ大師道」と刻まれた石標が立っています。
今日は帰りに西新井大師に寄るので、街歩きだったら遠回りの日光街道じゃなくて、大師道をブラブラ歩くのもイイね。
鉢石宿→神橋
土曜日に日光道中二十一次の鉢石宿~神橋を歩きました。\(^-^)/
日光街道…ってゆーか、日光道中歩きの10日目で最終日。
歩いた距離は寄り道含めて5.0km、2時間35分の旅。
歩数は5,792歩。
しかし、日光道中の終点神橋の先に世界遺産があります。
世界遺産の二社一寺を巡って、日光金谷ホテル発祥の地までの行程をプラスすると13.5km、5時間20分の旅。
歩数は13,949歩。
さらに、日光金谷ホテル発祥の地から買い物しながらJR日光駅までブラブラしたら17.9km、7時間05分の旅。
歩数は18,418歩。(^-^;
当日の朝は山手線での人身事故のため上野駅でしばらく停車。
日光駅には15分遅れで到着しました。
車内で寄り道する場所を減らそうと考えていたけど、15分くらいなら予定通りです。
いつものようにツイートしながら歩いていて、日光は江戸や明治創業の老舗が多くて一所懸命つぶやいていたら、何と!鉢石宿で非常に大事な鉢石を忘れてすっ飛ばしてしまいました。
今回は歩いて来た道をそのまま戻るという、街道歩きとしては珍しい行程なのでヨカッタです。
帰り道に鉢石を撮りました。
おらは東海道も中山道もどちらも三条大橋が終点。
日光道中も神橋というランドマークがあって分かりやすい終点です。
来年から歩く奥州道中の終点は二又の分かれ道だし、その次の甲州道中は碑はあるものの中山道との合流地点で丁字路。
擬宝珠のある朱塗りのハデな橋みたいな街道の終点というのは、これからはなかなかないだろうと思うと感慨もひとしおです。
神橋に着いても日光道中の旅はまだ終わりません。
日光道中が整備されるきっかけを作った狸オヤジ…ってゆーか、徳川家康公の墓参りが残っています。
世界遺産の輪王寺・東照宮・ニ荒山神社を、一般の観光客に混じって、観光を敢行!
最後は明治6年(1873)創業の日光金谷ホテル発祥の地「金谷ホテル歴史館」。
遅い昼食(15時)を食べてから歴史館を見学しようと思ったら、開館時間は10時~15時だって…ガクッ。
日光を結構楽しんだので仕方ないですね。
お土産の日光練羊羹を買いながらJR日光駅に向かいました。
羊羹を4棹買ったら重さが2kgで、リュックが肩に食い込んで帰りは辛かった。(^-^;
日光道中が無事踏破できて、次は奥州道中で白河宿を目指します。
初日は宇都宮宿からさくら市を歩きます。
平成の大合併でできた新しい市で、「さくら」と聞くと千葉県佐倉市と思うけど、市名の由来となった桜を見るために、4月上旬にスタートします。
しかし、当ブログは日光道中だけでなく、いくつかある「日光街道」のブログです。
日光街道としては、次に日光御成道を歩くと思いますが、歩いたらまた当ブログで報告します。