ブログ 日光街道ヘロヘロ旅

旧日光街道を歩いています。

01日光道中千住宿

日光道中千住宿 おしまい

東海道の初日は、初めての街道歩きでどのくらい歩けるのか分からず、日本橋を午後出発。 一番目の宿場:品川宿の入口まで歩いて、JR品川駅から帰宅。 中山道の初日は、東海道の時よりも歩こうと午前中に出発。 しかし、2~3日前に風邪を引いてしまい、体調…

日光道中千住宿 その24

いよいよ西新井大師です。 正式名称は五智山遍照院總持寺。 天長3年(826)に弘法大師が関東巡錫の際この地に立ち寄り、悪疫流行に悩む村人たちを救おうと、十一面観音像を彫り、枯れ井戸に安置して護摩祈願したのがはじまり。 お堂の西側にあった枯れ井戸か…

日光道中千住宿 その23

食事が終わっていよいよお参り。 西新井大師の門前に向かい合って団子屋。 あ!この風景TVで観たことある。 右手は文化2年(1805)創業の中田屋で、左手は元禄2年(1689)創業の清水屋。 さすが歴史の古い門前町だけに、江戸時代から続く老舗がいくつもあるん…

日光道中千住宿 その22

何の変哲もない島根交差点を左折して、都道318号環状七号線を1.7kmほど進むと西新井大師。 お参りの前に、お八つ…ってゆーか、ようやくお昼ご飯です。(^-^; 明治30年(1897)創業の武蔵屋でうな重♪ 今日は街道歩きは短めにして、13~14時頃に当店で昼食と思っ…

日光道中千住宿 その21

身の危険を感じながら梅島駅を通過。 梅島駅を過ぎると歩道の幅が広がるのでホッ。 足立区の歩道は危険が一杯なので早く通り過ぎたいけど、本日の終点は梅島駅から600mほど北にある島根交差点で、まだまだ足立区。 14:45だと時間的にはまだ早いけど、今まで…

日光道中千住宿 その20

千住新橋を渡ると首都高速中央環状線を横目に荒川左岸の土手を進みます。 千住新橋出入口の料金所を目指すと川田橋交差点から旧道復活。 石不動堂・子育八彦尊道道標を横目にひたすら北上します。 足立梅田郵便局の手前、名前のない交差点に「右 旧日光道中…

日光道中千住宿 その19

下妻道の追分から旧道は北西に進んで荒川を横断…ってゆーか、土手にぶつかって消滅。 大川町氷川神社で旧千住新橋の親柱を見学してから、千住新橋で荒川を渡ります。 しかし、往時はここに荒川は流れていませんでした。本来の荒川は現在の隅田川で暴れ川。 …

日光道中千住宿 その18

水戸佐倉道の追分から100mほど進むとまた追分。 日光街道は左折するけど、真っ直ぐ進む道は下妻道。 “教科書”『今昔三道中独案内』には滝山道となっているけど、下妻道を北上すると、喜連川宿で奥州道中と合流します。 ちなみに、古奥州道はこの追分から中川…

日光道中千住宿 その17

先を進むと、名前のない交差点に「北へ 旧日光道中」「東へ 旧水戸佐倉道」と刻まれた石標があります。 ここが水戸佐倉道(水戸街道・佐倉街道)の追分。 水戸街道は歩いてみたい街道の1つなので、ここでは触れないでおきたいところだけど、ちょっと寄り道…

日光道中千住宿 その16

もう13時を回って、ようやくランチ…ってゆーか、お八つ。(^-^; かどやさんの槍かけだんごで舌鼓。 今朝は4時に起きてトースト1枚食べただけなので、もう腹減った…。(+_+) あまりにも腹減ってやきとあんを2本ずつ注文んだらご主人が驚いているので、日本橋…

日光道中千住宿 その15

千住ほんちょう公園の「千住宿 高札場 由来」案内板を横目に先へ進みます。 公園を過ぎると人通りが少なくなって、なかなかイイ感じの風景。左手は江戸時代から続く千住絵馬屋・吉田家。 当家に保存されている吉田家絵馬資料と、江戸時代からの伝統を守る千…

日光道中千住宿 その14

さて、千住本氷川神社で気になるのは足立区年中無休ラジオ体操発祥之地碑。 ラジオ体操発祥之地とチラ見して、マジか!と思ったけど、よく見たら足立区年中無休ラジオ体操発祥之地。 毎日休まずにラジオ体操をするなんて、小学生の夏休みだけしかしていない…

日光道中千住宿 その13

お休み処「千住 街の駅」でガイドマップをGETして、セブン茶屋の細い路地を入ると千住本(せんじゅもと)氷川神社。 由緒が面白い。 徳治2年(1307)に千葉氏によって牛田の地に氷川社が創建されました。 江戸時代初期、現在地に分社を建立。 明治43年(1910)…

日光道中千住宿 その12

ダイエートポス北千住店を過ぎると千住二丁目です。 千住三丁目は国道4号と北千住駅をむすぶ広い道路からと思いきや、その次の、車が通れないほどの細い路地が境なので意外。 その千住三丁目の角にある100円ショップ・そのうハッピーショップが千住宿本陣跡…

日光道中千住宿 その11

千住宿に入ると東京芸術センターに問屋場・貫目改所跡があります。 すぐに宿場の施設があるのね。 角の路地を進んで寄り道します。 まずは不動院で、戊辰戦争に従軍した安芸藩士の芸州供養塔にお参り。 そして、お隣の慈眼寺。 正和3年(1314)に創建された古…

日光道中千住宿 その10

仲町氷川神社より街道復帰して掃部宿を進むと名前のない交差点。 ここが千住一里塚跡で、右手の植え込みに一里塚跡碑が立っています。 左手は高札場跡。 もう掃部宿のはずれで、往時は水除堤が横たわっていました。 堤に沿った堀に架けられた板橋を渡ると、…

日光道中千住宿 その09

千住仲町交差点で旧道に戻らず、そのまま墨堤通りを東に寄り道。 路地裏に仲町氷川神社。 ひっそりとしているけど、当社はお宝がいっぱい。まずは区登録有形文化財の関屋天満宮碑。 登録文化財ってのは、天満宮ではなくて、碑の方。 天満宮自体も、社や祠は…

日光道中千住宿 その08

千住仲町交差点に源長寺。 慶長15年(1610)石出吉胤(いしで よしたね)によって開創されました。 しかし、吉胤が千住大橋架橋の奉行を務めた伊奈忠次を敬慕していたので、忠次を開基としています。 掃部(かもん)宿開発に尽力した吉胤は元和4年(1618)に没…

日光道中千住宿 その07

左手の路地入口に「旧日光道中」「是より西へ大師道」と刻まれた石標が立っています。 今日は帰りに西新井大師に寄るので、街歩きだったら遠回りの日光街道じゃなくて、大師道をブラブラ歩くのもイイね。

日光道中千住宿 その06

家並みをキョロキョロしながら進んでいると建物の前に屋号が掲げてあります。 同じ五街道一番目の宿場である東海道品川宿&中山道板橋宿では見られなかった光景。 日光道中千住宿は頑張っているね~。 しかし、往時の千住宿はまだ先で、この付近は掃部(かも…

日光道中千住宿 その05

日本橋を立ってすぐ分かれたものの、再び出会った国道4号とはまたしばしの別れ。 国道4号は左カーブするけど、旧道は足立市場前交差点を真っ直ぐです。 足立市場の塀に「千住宿 奥の細道」と書かれ、松尾芭蕉生誕360年記念事業として平成16年(2004)に矢立…

日光道中千住宿 その04

大橋公園の先に橋戸稲荷神社が鎮座しています。 延長4年(926)創建というので、日光道中沿道の歴史は古いね~。 本殿と伊豆長八の鏝(こて)絵が区登録有形文化財です。

日光道中千住宿 その03

橋詰テラスに下りる手前に大橋公園があります。 おくのほそ道矢立初の碑とおくのほそ道行程図(案内板)が建っています。 この場所は千住宿の橋戸河岸。 歌川広重の名所江戸百景「千住の大はし」では、荒川(隅田川)に架かる千住大橋の両岸が船着場で、多く…

日光道中千住宿 その02

千住大橋を渡ると足立区になります。 千住大橋橋詰テラスの堤防の壁に「おくのほそ道」の一節と、与謝蕪村「奥の細道図屏風」の挿絵が描かれています。 「おくのほそ道 旅立ちの地 千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のち…

日光道中千住宿 その01

素盞雄(すさのお)神社では、境内を散策したり、ご朱印いただいたり、休憩したり。 ツイッターでつぶやくようになってから、つぶやいている時間が半ば休憩しているようなもので、改まって休憩をしなくなってきたけど、ベンチがあるのでようやく15分休憩。 1…