水戸佐倉道の追分から100mほど進むとまた追分。
日光街道は左折するけど、真っ直ぐ進む道は下妻道。
“教科書”『今昔三道中独案内』には滝山道となっているけど、下妻道を北上すると、喜連川宿で奥州道中と合流します。
ちなみに、古奥州道はこの追分から中川沿いを北上して、越ヶ谷に出ていました。
この下妻街道沿いにあるのが区登録史跡千住名倉医院。
名倉家は秩父庄司畠山氏の出で、明和7年(1770)名倉直賢がこの地で接骨医を開業しました。
往時は骨接ぎといえば名倉、名倉といえば骨接ぎの代名詞になるほど賑わっていたそうです。
現在の院長は直賢から数えて8代目。