ブログ 日光街道ヘロヘロ旅

旧日光街道を歩いています。

日光道中日本橋 その07

天保6年(1835)創業の久月を横目に蔵前一丁目交差点。
右折すると蔵前橋の手前に浅草御蔵跡碑があります。
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浅草御蔵(あさくさおくら)は、またの名を浅草御米蔵ともいい、主として旗本・御家人の給米用の倉庫群。
元和6年(1620)奥州道中(日光道中)の左手にあった丘を切り崩し、現在の柳橋2丁目、蔵前1丁目・2丁目に当たる、広大な地域を埋め立てて造営しました。
最大で67棟もの蔵が建ち並んでいたというのでビックリ!

日光道中日本橋 その06

旧道に戻ると横山町問屋街。
両国ビルヂングの案内板を横目に片側3車線の広い道路に出ると、浅草橋交差点。
浅草橋交差点から左側の歩道がなくなるので、右側に移ると、神田川に架かる浅草橋。
神田川には屋型船がいっぱい。
浅草橋を渡ると台東区となり、橋の北詰に浅草見附跡。
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があるだけで案内板はありません。

幸手宿→栗橋宿

一昨日4月2日に日光道中二十一次幸手宿~栗橋宿を歩きました。\(^-^)/
日光街道歩きの4日目。
駅だと東武日光線杉戸高野台駅からJR東北本線栗橋駅まで。
歩いた距離は寄り道含めて17.9km、6時間25分の旅。
歩数は23,143歩。

今回は時々一緒に歩いてくれる愛知県豊橋在住の萩さんが日光道中歩きで初参加。
昨年3月21日の中山道柏原宿以来1年ぶりの再会です。
今まで7時台の出発だったけど、萩さんが豊橋から一番電車でやって来るので、今回は10時の出発です。

まずは幸手宿。
日光御成道の追分があり、交通の要衝。
宿場内はレトロな建物がいくつか点在しています。
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(カフェになっている国登録有形文化財の岸本家)

しかし、幸手宿といえば、この季節は権現堂桜堤でしょう。
レトロな建物を撮るのに、道路の右へ左へ忙しいのですが、権現堂へ向かう人や車が多くて、撮影が大変。
あちこち立ち寄ってから、昼過ぎに権現堂桜堤に着いたのですが、人や車の多さに辟易する以上に素晴らしい!
桜の名所だとは以前から知っていましたが、桜と菜の花のコラボは圧巻です。
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(桜が満開の権現堂桜堤)

続いて栗橋宿。
権現堂桜堤を後にすると、国道4号の横に細々と続く小径が日光道中。
左側は街道らしく民家が建ち並んでいますが、右側は小高い国道4号の法面。
本来日光道中は堤の上にあったはずなのに、国道4号のために破壊されてしまって、歩道代わりの小径みたいな感じです。
しかし、消滅するよりはマシですね。
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(国道4号の下に細々と続く旧道)

萩さんはもう五街道を踏破しているんですが、日光道中の幸手宿は5月だったので、権現堂の桜は初体験。
国道4号沿いは1本西側の道を歩いて、「跡」が付かない小右衛門一里塚も見られなかったそうで、歩き直しができて喜んでいました。
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(小右衛門一里塚)

一般の宿場は本陣が町並みの中心にあるものだけど、栗橋宿の本陣・脇本陣跡は北のはずれ、関所の近くにあります。
しかし、周辺が更地になって場所がよく分かりませんでした。
本陣・脇本陣跡が更地になったのは、利根川スーパー堤防建設のためです。
栗橋宿のホントのはずれに八坂神社がありますが、調べたら堤防に引っかかるために移転が決定しています。
おらの地元東海道戸塚宿は戸塚駅前の再開発で、宿場らしいアーケードの町並みが破壊されました。
栗橋宿もスーパー堤防ができたら、宿場の風景が変わってしまいますね。(>_<)
もうすでに変わっているけど…。
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スーパー堤防工事中)

日光道中日本橋 その05

十思公園には石町(こくちょう)時の鐘も置かれています。
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江戸時代最初の時の鐘で都指定文化財
元々は江戸城西の丸で撞いていた鐘で、日本橋石町に鐘楼堂を造って納めたのが起源。
日本橋石町は中山道沿いの日本橋室町4丁目~日本橋本町4丁目付近。
3度の火災に遭い破損したため、現在の鐘は2代目で、宝永8年(1711)に鋳造されたものです。
伝馬町牢屋敷での処刑は時の鐘を合図に執行されたそうなので、吉田松陰もこの鐘の音を聴いていたんだね~。

日光道中日本橋 その04

名前のない交差点で寄り道。
左折して小伝馬町交差点で国道6号「江戸通り」を突っ切り、1つめの路地に入ると十思公園。
都指定史跡伝馬町牢屋敷跡で、公園内だけでなく、入口の大安楽寺・十思スクエアも牢屋敷だったので、けっこう広い。
公園の片隅に吉田松陰終焉の地碑が建っています。
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松蔭は黒船密航失敗と安政の大獄で2回投獄され、安政の大獄安政6年(1859)に斬首となりました。

粕壁宿→杉戸宿

昨日の3月20日(春分の日)に日光道中二十一次の粕壁宿~杉戸宿を歩きました。\(^-^)/
日光街道歩きの3日目。
駅だと東武スカイツリーライン北越谷駅から東武日光線杉戸高野台駅まで。
歩いた距離は寄り道含めて31.0km、9時間15分の旅。
歩数は38,181歩。
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(関宿往還の追分道標)

まずは粕壁宿。
前回はゴール予定の駅より2つ手前で終えたため、粕壁宿の巻は長い道のりとなりました。
北越谷駅から1時間ちょっとで春日部市
宿場の入口まで国道4号の歩道歩きです。
粕壁宿は日本橋を出て1泊目の宿場。
規模が大きかったと思うけど、道路が拡幅されて、往時の面影はありません。
その代わり歩道も広く、電柱がないので、歩いていて気持ちがイイです。
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(粕壁宿の道標)

粕壁宿でお昼になり、ご当地グルメの「春日部やきそば」をいただきました。
春日部やきそばは、ソース焼きそばではなく、中華風のあんかけ焼きそばです。
あと、春日部には郷土菓子の「花餅」があります。
明治27年(1894)創業の江戸助さんと明治33年(1900)創業の青柳さんの花餅を食べ比べしました。
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(春日部やきそば ゆかりがかかっています)

続いて杉戸宿。
粕壁宿と杉戸宿は、宿駅として成立したのは元和2年(1616)で、今年がちょうど400年。
杉戸宿では400年の幟があちこちで旗めいていました。
しかし、杉戸宿は越ヶ谷宿のように道幅が狭くて宿場らしい街並みだけど、案内板がありません。
杉戸町のホームページに杉戸宿マップが載っているので、あらかじめ観光協会から送っていただいたので困らなかったけど、本陣跡・脇本陣跡などはマップがなければ素通りしちゃうでしょう。
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(杉戸宿の幟)

杉戸宿には天保4年(1833)創業の鰻店和泉屋さんがあります。
宿場内を歩いている時に鰻料理をいただこうと思っていたけど、あんかけの春日部やきそばが腹持ちがよくて、あまりお腹が空いていないのでスルー。
ゴールしてから途中下車して、名物の鰻の天ぷらをいただきました。\(^-^)/
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(名物の鰻天丼)

今日は東京の桜の開花が発表されました。
もうすぐだけど、桜の季節に次の幸手宿を歩く予定です。

日光道中日本橋 その03

年末年始の休み初日の朝で人通りが少ない。
都道316号「昭和通り」にぶつかる…ってゆーか、道路や丁字路に出る時に口癖で「ぶつかる」って言うけど、昭和通りには交差点がなくて行き止まり。
ホントにぶつかる。(^-^;
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天下の五街道が地下道に!(>_<)
街道歩きではGPSをお供に連れているので、なるべく地下道は歩きたくないな~。
GPSが衛星を補足できなくて、ログが気が狂ったようにあちこち飛んじゃう。
地下道を造っても天井は塞がずに、空が見えるようにしてほしいです。
え?道路に溝があると危ないって?
これからの車はマッハ号のようにジャンプできるようにしたらイイよ(笑)。

日光道中日本橋 その02

日光道中の道筋は、初めは少しだけ中山道と一緒だけど、中山道歩きの時に工事中だった三菱東京UFJ銀行の角を曲がる…ってゆーか、三菱東京UFJ銀行がない!
仮囲いにあった地図には、旧三和銀行の角が日光道中となっていたので、てっきり三菱東京UFJ銀行が建つのかと思ったら、YUITOという商業施設になっているっ!

街の変わりようにビックリしつつ、室町三丁目南交差点を右折。
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中山道歩きの時は気がつかなかったけど、交差点左手にある、天保5年(1834)創業の千疋屋総本店が目印。

日光道中日本橋 その01

いよいよ日光道中二十一次を歩く!
あ!そういえば、今まで東海道中山道、そして今回の日光道中の起点である日本橋をスタートするのに、現在の日本橋について語っていない!
国指定重要文化財である日本橋は、明治44年(1911)に木造から現在の石造二重アーチ橋に架け替えられました。
さて、東海道歩きでは高札場跡の南詰西側をスタートして、中山道歩きでは魚河岸跡の北詰東側をスタートしたので、今回の日光道中では晒し場跡の南詰東側を、7:10スタート(笑)。
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草加宿→越ヶ谷宿

昨日2月6日、日光道中二十一次草加宿から越ヶ谷宿まで歩きました。\(^-^)/

日光街道歩きの2日目。
駅だと東武スカイツリーライン梅島駅から北越谷駅まで。
歩いた距離は寄り道含めて28.9km、9時間の旅。
しかし、昼食で立ち寄ったお店でGPSを切り忘れて、ログがあちこち飛んで実際より長くなっているので、ホントは25kmくらいと思います。
歩数は31,253歩。

今回の目玉は草加宿。
草加といえば草加煎餅で、こんなに競合店があってやってけるのか?と思うほど、煎餅のお店が多かったです。
おらが立ち寄った煎餅店は老舗の2店。
慶応元年(1865)創業のいけだ屋さんと明治3年(1870)創業の源兵衛せんべいさん。
2店だけですが、味や食感が違うので、食べ比べすると面白いです。
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(いけだ屋)
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(源兵衛せんべい)

そして、国指定名勝の草加松原。
約1.5kmの松並木で、松が約600本。
県道の歩道では歩いている人はあまり見かけなかったけど、草加松原は人が多かったです。
残念なのは、名称が「おくのほそ道の風景地 草加松原」。
日光道中の松並木なのにねぇ。(^-^;
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草加松原)

草加宿と比べると、残念なのが越ヶ谷宿。
宿場と平行して県道のバイパスが走っているのにもかかわらず、車の交通量が多すぎ。
道幅が狭いので、緑の路側帯(グリーンベルト?)はあるものの、歩道はありません。
撮影が命がけです(汗)。
古い家屋や蔵が多いのに残念。
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(塗師屋小泉家)

しかし、おらにとっては越ヶ谷宿の目玉は久伊豆神社
指定文化財複数あるものの、街道から1kmほど離れているので、当初は立ち寄り場所と考えていませんでした。
しかし、前日の予習で寄ることが決定!
当社に三ノ宮卯之助の力石があるんです。
三ノ宮卯之助の力石は中山道桶川宿の稲荷神社にもあるんだけど、久伊豆神社にも立ち寄ってみました。
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(三ノ宮卯之助銘の力石)

今回の日光道中はなかなか楽しかったけど、寄り道しすぎたのか?時間切れで予定していた終点まで歩けませんでした。
予定ではせんげん台駅まで歩くつもりが、日の入りが17:12なのに、2つ手前の北越谷駅で16:55のため、急遽終了。
北越谷~せんげん台は約4km1時間。
もう少し日が長かったら歩けたのにねぇ。
ブログのタイトル通り、もうヘロヘロ(笑)。