ブログ 日光街道ヘロヘロ旅

旧日光街道を歩いています。

日光道中日本橋 その20

公衆トイレがあるのでありがたいけど、南千住駅周辺にはベンチがないので先へ進む…ってゆーか、駅の向かいに延命寺があります。
この付近は東海道品川宿の鈴ヶ森と並ぶ小塚原刑場があったところ。
境内には、寛保元年(1741)刑死者の菩提を弔うために建てられた、デッカい首切地蔵が鎮座しています。
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元はもっと南側に安置されていたそうだけど、隅田川線が明治29年(1896)に開業したので現在地に移されました。
区指定有形文化財

日光道中日本橋 その19

都道464号に戻って先を進みます。
泪橋交差点で都道306号「明治通り」を過ぎると荒川区
すると、目の前に南千住駅前歩道橋がデ~ン
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だだっ広い隅田川貨物線の線路を越えると東京メトロ日比谷線南千住駅南口に出ます。
駅前のベンチで休憩がてら、日本橋の巻を終えようと思ったら、あれ?ベンチってないのね…ガクッ。

間々田宿→小金井宿

昨日8月11日山の日に日光道中二十一次の間々田宿~小金井宿を歩きました。
日光街道歩きの6日目。
駅だとJR宇都宮線間々田駅から自治医大駅まで。
歩いた距離は寄り道含めて31.4km、10時間50分の旅。
歩数は41,752歩で、日光街道を6回歩いた中で一番歩きました。

今回は日光街道を6回歩いた中で、初めて試したことがあります。
今まで日光街道歩きでは教科書としている『今昔三道中独案内』の地図をコピーして歩いていましたが、今回はスマホの地図アプリを利用しました。
今回のルートは国道4号を離れて旧道や廃道になっているところが多いので、PCの地図でルートを描いてスマホに転送、立ち寄る神社仏閣名所旧跡のポイントを地図に付け足して、もう完璧で迷子になることもありません。
前回の古河宿で予定していた頼政神社に寄り忘れたので、今回は寄り忘れがないように手間をかけました。
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しかし、立ち寄るポイントを全て立ち寄ったら時間がかかりすぎて、日没後も歩くことになり、ゴール地点の少し手前の下野市役所で旧道が消滅していたので、市役所で終了。
PCで作成したルートの距離は17.7kmだったのに、寄り道が含まれているとはいえ30km越えなのでビックリ!(◎o◎)
終点に着いたのが真っ暗…というのは、中山道の時に何回かあったので久しぶりです。
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本来は7月の梅雨の曇り空で、それほど暑くない日に歩こうと思っていたものの、1年で一番暑い真夏になってしまいました。
8月は熱中症のことを考えてなるべく歩かないのですが、予報で昨日の最高気温が低めなので出かけてみました。
おらは日焼けに弱いので、夏でも長袖Tシャツ&長パンで歩いてますが、今回は曇りの予報だったので、半袖Tシャツ&短パンで歩いてみました。
15時頃から晴れてちょっとバテ気味になりましたが、日焼け止めを塗っているので腕やふくらはぎがヒリヒリすることはなかったです。

今回は宿場を4宿歩きました。

まずは間々田宿。
日光道中の宿場は国道4号が通っているので、間々田宿も宿場の面影はありません。
一番の見どころは間々田八幡宮
鬱蒼とした社叢に囲まれて静かな古社です。
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(間々田八幡宮

メインの小山宿。
今回一番大きな街で見どころが多く、一番寄り道しました。(^-^;
須賀神社から小山市役所の小山評定跡・御殿跡を経由して小山城(祇園城)跡まで。
行って帰るだけなら往復2kmくらいですが、1時間10分かかりました。
しかし、小山市は観光にあまり関心がないようで、案内板が非常に少ない。
間々田宿には本陣跡や間々田八幡宮一の鳥居に間々田八幡宮の案内板が設置してありますが、これは小山市ではなくて間々田商工会・小山歴史研究会が設置したものです。
小山市のサイトも他の市町村と違って、文化財リストや見どころのページがありません。
小山市はどうも内向きで、観光客を拒んでいるかのようです。
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(小山城から臨む思川)

そして新田宿。
小山宿と小金井宿に挟まれた小っちゃい宿場で、宿場の面影はありません。
当宿も案内板はなく、予習していないと宿場だと気がつかないでスルーしちゃいそう。
しかし、街道沿いの民家に屋号が掲げてあるので感激しました。
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(新田宿本陣跡の青木家)

最後の小金井宿。
今回は日光道中の旧道が残っているところや消滅したところが継ぎはぎ状態ですが、小金井宿の手前の旧道は長い区間を歩けます。
しかし、小金井一里塚の手前が畑になっていて非常に惜しい。
昨日の日の入りは18:37。
小金井一里塚に着いたのは18:10頃。
あとは駆け足状態で立ち寄るのに時間がかけられませんでしたが、下野市も案内板がありません。
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(小金井一里塚の手前は畑)

終点は自治医大駅をちょっと過ぎた笹原の立場があったところの予定だったけど、旧道の上にまさかの下野市役所が建っていて、旧道消滅。
暗いし進めないしで、予定の手前で旅を終えました。
中山道熊谷宿で中山道の上に建っている八木橋百貨店は、店内に中山道の道筋が残っていて、営業時間内なら通れます。
下野市役所も日光街道の道筋の通りに歩けるのかな?と思ったら、入口は旧道上にありますが、出口は道筋から離れているようです。

役所というのは、日光街道の旧道のような史跡を残す立場なのに、捨てて消し去ってしまうのはいかがなものか。
小山市下野市も、市民の生活が第1だと思うけど、観光や文化財の保護にももう少し力を入れてほしいです。
次回は下野市役所からスタートするので、できれば開庁日に役所内を歩いてみたいな~。

日光道中日本橋 その18

東禅寺の帰り。
向かう時は気がつかなかったけど、「南無馬頭観世音菩薩」の幟が旗めいています。
何だろう?と思って、ビルと民家の間を入ると駿馬塚。
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案内板によると、康平年間(1058~64)源義家陸奥へ向かう際、この地で愛馬青海原が絶命したので葬った所だそう。
「江戸名所図会」には土饅頭型の塚の挿絵が載っているけど、今は石碑や石造五重塔の残骸などがあるだけです。
しかし、覆屋が建てられ大事にされているね~。

日光道中日本橋 その17

東禅寺の境内の片隅に夫婦の銅像が並んでいます。
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麺麭祖と書かれたプレートがあるので、麺業界の功労者の像と思って写真を家に持ち帰ったら、何と!「麺麭」はパンのことで、銅像は明治2年(1869)に創業した木村屋總本店の創業者:木村安兵衛♥ブン夫妻でした。
一般にパン祖と呼ばれているのは江川英龍(伊豆韮山代官&韮山反射炉の生みの親)で、天保13年(1842)兵糧として自宅でパンを焼いているので、木村屋の創業よりも古い。
しかし、木村屋はパン業界一番の老舗で、みんなが好きなあんぱんは安兵衛が発明したものなので、みんなで安兵衛を「あんぱんの父」と呼ぼうよ。\(^-^)/

日光道中日本橋 その16

都道464号に戻り先を進みます。
名前のない交差点から路地に入ると、突き当たりに東禅寺があります。
その正面に銅造地蔵菩薩坐像がド~ンと鎮座。
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江戸六地蔵の1つで、宝永7年(1710)に建立されました。
都指定有形文化財です。

日光道中日本橋 その15

今戸神社の吽形の狛犬の後ろに今戸焼発祥之地&沖田総司終焉之地の凸凹コンビの碑が並んでいます。
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中山道神田今川橋が今川焼発祥の地というので、この地には今戸焼というお菓子があったのか!と思ったら、土器の方の焼き物でした。(>_<)
肺の病に冒されていた沖田総司は、当社に住んでいた御典医松本良順宅で治療を受けていたそうです。
しかし、その甲斐なく、明治元年(1868)没。
千駄ヶ谷沖田総司逝去の地があるそうだけど、甲州道中から離れているようなので、拙サイトの街道歩きの歴史年表では当社が沖田総司終焉の地で落ち着きそう。(^-^;

日光道中日本橋 その14

待乳山聖天から一度旧道に戻って、吉野橋跡から暗渠になっている山谷堀公園をたどって、今戸神社
ご苦労なことです。(^-^;
源頼義・義家父子が前九年の役に勝利した康平6年(1063)に石清水八幡を勧請したというので、当社は八幡宮なのね。

拝殿にペアの招き猫が鎮座。
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当社は招き猫発祥の地で、祭神が応神天皇のほかに伊弉諾尊(いざなぎのみこと)♥伊弉冉尊(いざなみのみこと)ということで、縁結びで有名みたい。
そんなわけで、境内にはペアの招き猫が描かれた絵馬…ってゆーか、絵猫?がいっぱい。
奉納するのに赤い糸で結ばれているので、よく考えられているな~。

日光道中日本橋 その13

待乳山聖天(まつちやましょうでん)には珍しいものがあります。
大根(笑)。
大根は夫婦和合・縁結び・子孫繁栄を表すもので、お供え用の大根を売っています。
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入口に大根まつりの告知が掲げてあったけど、大根まつりは昭和49年(1974)から毎年正月7日に行われていて、三が日にお供えされた大根をお下がりとして、参詣者に風呂吹き大根を振る舞うそうです。
2,000食限定。
当山は浅草名所(などころ)七福神毘沙門天
深川で七福神巡りをしたことがあるけど、正月7日に浅草名所七福神を巡るのもイイね!

日光道中日本橋 その12

吾妻橋交差点から東武浅草駅を左に見て、国道6号「江戸通り」を進むと五叉路の言問(こととい)橋西交差点。
左斜めの都道464号を進んで待乳山聖天まつちやましょうでん)に寄り道します。
当山の寺号は本龍院
浅草寺の子院の1つだけど、何と!本山の浅草寺よりも古く、開山が推古3年(595)!
当山の山号「待乳山」は浅草神社の祭神の1柱:土師真中知と同じ「まつち」なので、当山が真中知の住居跡だったとか、何か関係があるんでしょうね。

境内に金網で保護されている銅造宝篋印塔があります。
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宝篋印塔って、だいたい石造物なので、銅造は珍しい。
天明元年(1781)製で区指定有形文化財です。